江戸時代に名古屋を治めていた、尾張徳川家の殿様たちのお話です.


by fouche1792
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尾張藩歴代藩主

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尾張徳川家には16人の藩主がおりました。

初代 義直(よしなお)  1600~1650(在位1607~1650、以下同じ)

徳川家康の九男。

1603年 甲府25万石

1607年 兄松平忠吉の跡を受け尾張清洲城主となる

1610年 名古屋城に移る




二代 光友(みつとも)  1625~1700(1650~1693)

義直の長男。

正室は将軍家光の娘、千代姫。このときの嫁入り道具が徳川美術館に展示されている



三代 綱誠(つななり)  1652~1699(1693~1699)

光友の長男(実は次男。兄義昌は母が側室のため三男とされた)

在任中は隠居光友が政治を行っていた。

嫡子吉通がまだ幼いため、同母弟松平義行に後見を頼んだ


四代 吉通(よしみち) 1689~1713(1699~1713)

綱誠の九男。

一時将軍家宣の後継者に目されていた。

五代 五郎太(ごろうた) 1711~1713(1713)

吉通の長男。わずか三歳で家督を継ぐも二ヶ月で死去。



六代 継友(つぐとも)  1692~1730(1713~1730)

はじめ松平通顕(みちあき)。綱誠の十一男。

八大将軍をめぐり、紀伊吉宗と争ったが敗れた。


七代 宗春(むねはる)  1696~1764(1730~1739)

はじめ松平通春(みちはる)。綱誠の二十男。

1729年に奥州柳川三万石

1730年 兄継友の急死後、尾張藩主

1739年 将軍吉宗より隠居謹慎を命ぜられる

*享保の改革を推進した吉宗に真っ向から対立し、名古屋の繁栄の基礎を築いたとされる、

 おそらく尾張家ではもっとも人気のある君主。


八代 宗勝(むねかつ)  1705~1761(1739~1761)

はじめ松平友相(ともすけ)。後友淳(ともあつ)。

分家川田久保松平友著の長男。

1732年 分家高須松平家相続。松平義淳(よしあつ)と改名

1739年 尾張家相続

徹底した倹約令で藩財政の立て直しを図った。

*在任中に木曽三川宝暦治水工事があった

 


九代 宗睦(むねちか)  1732~1799(1761~1799)

宗勝の次男。藩校明倫堂を創設。新田開発、文教政策など藩政改革に努めた。

後継者が皆早死にしたため、一橋家より養子を迎え、

ここに初代義直の血統は断絶した。


十代 斉朝(なりとも)  1793~1850(1799~1827)

一橋徳川家治国の長男


十一代 斉温(なりはる) 1819~1839(1827~1839)

将軍家斉の十九男。


十二代 斉荘(なりたか) 1810~1845(1839~1845)

将軍家斉の十一男。

1836年 田安徳川家相続

1839年 尾張家十二代藩主となる

相次ぐ押し付け養子政策に藩内の反幕感情が高まった


十三代 慶臧(よしつぐ) 1836~1849(1839~1849)

田安徳川家斉匡の七男。


十四代・十七代 慶勝(よしかつ)  1824~1883(1849~1858;1870~1873)

高須松平家義建の次男。

弟に十五代藩主茂徳、会津松平家の容保、桑名松平家の定敬、いとこに将軍慶喜がおり、

それぞれが幕末の政局で活躍した。

*青松葉事件が起こり、藩内を勤皇に統一。


十五代 茂徳(もちなが) 1831~1884(1858~1863)

はじめ松平義比(よしちか)。慶勝の弟。

1850~1858高須藩主。

兄が井伊直弼に隠居させられた跡を受け、尾張藩主となる。

徳川慶喜の将軍就任後一橋家を相続


十六代 義宜(よしのり) 1858~1875(1863~1870)
慶勝の子。慶勝の政局復帰後藩主となる。

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by fouche1792 | 2005-09-17 08:32 | 尾張徳川十七代