江戸時代に名古屋を治めていた、尾張徳川家の殿様たちのお話です.


by fouche1792
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

初代 徳川義直  二人の御付家老

愛知県西部、旧尾張の国には名古屋城以外にもいくつかのお城があります。
その中で日本最古の現存天守を持つ国宝犬山城はかなりユニークな存在。なにせつい先ごろまで、日本で唯一の個人所有のお城だったのです。
明治時代になり多くの城は破却されるか政府のものとなりました。犬山城は明治24年(1891年)の濃尾震災により天守の一部や城門、櫓などが壊れたため、28年にそれらを修理するという条件で、旧城主成瀬正肥(なるせ・まさみつ)に譲られました。昭和10年には国宝に指定されています。その後平成16年に財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され所有権が移るまで、個人所有の城だったのです。
犬山城主成瀬家とはどんな殿様だったのでしょうか? 江戸時代の尾張国に、徳川氏以外の大名なんていたのでしょうか?

名古屋城が完成したとはいえ、義直家康の死までは主に駿府におりました。
彼の代わりに尾張藩執政となっていたのは、平岩親吉。平岩は家康がまだ竹千代と呼ばれていた頃、今川義元の人質であった頃に小姓として仕えた股肱の臣でありました。尾張藩家老として任命され、犬山城10万石に封ぜられます。
10万石といえば中級大名クラス。ですが彼は義直の家老として尾張藩の基礎を固めました。
大大名には万石以上の領地を持つ家臣がいることがあります。例えば加賀102万石を領する前田家には「八家」と称される万石以上の重臣がおりました。ですがかれらはあくまで家臣であり、将軍から見れば陪臣(ばいしん=また家来)であります。

親吉は慶長16年(1611年)に亡くなりました。子どもはなく、平岩家は絶家となります。
その跡を継いで犬山城主兼尾張藩執政となったのが家康側近の成瀬正成(まさなり)
後に義直の異父兄である竹腰正信とともに尾張藩の御付家老と呼ばれました。

つけがろう ―がらう 3 【付家老】
江戸時代、幕府から親藩へまたは大名の本家から分家へ、監督・補佐のために派遣された家老。
三省堂提供「大辞林 第二版」より


御三家にはそれぞれ将軍家より御付家老が派遣されました。

尾張家……成瀬正成(尾張犬山35,000石)・竹腰正信(美濃今尾30,000石)
紀伊家……安藤直次(紀伊田辺38,000石)・水野重央(紀伊新宮35,000石)
水戸家……中山信吉(水戸松岡25,000石)


彼らは特に「五家」と称されました。
御付家老は万石以上の領地を持ちながら、独立した大名ではなく陪臣でした。江戸時代初期にはそれでも大名並みの待遇を受けていましたが、時代が下るにつれてそれもなくなりました。
五家の者たちにとって独立した大名になることは悲願となります。そしてそれが達成されたのは明治元年(1868年)。しかしすぐに版籍奉還、廃藩置県となりました。

NEXT 家光と義直
[PR]
by fouche1792 | 2005-11-14 16:41 | 尾張徳川十七代