江戸時代に名古屋を治めていた、尾張徳川家の殿様たちのお話です.


by fouche1792
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清洲城主 松平忠吉

御三家は徳川の名乗りを許され、将軍家に跡継ぎ無き時の控えとして立てられた、というのが教科書的な説明です。

ですがこれはあくまで結果論でして、家康の子の家系で幕末まで続いたのが尾張・紀伊・水戸の3つであったにすぎません。
(他に次男の家系、福井松平家もありましたが、松平の名乗りで、御三家より地位の低い「御家門」でした)。
家康には他にもたくさんの子がいました。
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1605年家康が将軍職を秀忠に譲り、徳川の天下が続くことを示した年に生存していた子どもたちです。
ご覧の通り家康は子どもたちを各地の城主に封じ、将来の本家の藩屏としようとしました。

この中で次男の秀康は兄であるのに将軍職を継いでおりません。彼は家康に疎んじられていたのです。
家康という人は子どもに対する情が薄い人で、長男の信康はおいとくとしても、この秀康や六男の忠輝、自分が厄年の年に生まれた松平民部などを嫌っていたそうです。
秀康は一時秀吉の養子、つまり人質として外に出され、羽柴秀康と名乗っていました。その後も関東の名家結城家を継いだりしています。家康の覇権が決まったころにやっと松平に戻ったのです。
秀康のほうも自分を邪魔者扱いにした父にはなじめず、むしろ養父だった秀吉を慕っていたと言います。
彼は大坂の陣前に病没していますが、もし生きていたらその去就は微妙だったでしょう。
彼が将軍を継げなかったのは他にも要因はありますが、いずれにせよ、家康・秀忠父子にとって、一族とはいえ、やや警戒する相手でした。

忠吉は秀忠の同母弟で、一時は二代将軍の候補にもあがっていました。秀忠の一番近しい弟といえます。
この忠吉に預けられたのが尾張の国。信長福島正則が入っていた清洲城に封ぜられました。
尾張は古来より東西の接点で豊かな濃尾平野を抱えた要衝の地でした。ここに忠吉が封じられたのはやはり彼が将軍の同母弟だからでしょう。秀忠にとって一番信頼できる一族だからでしょう。

この時点ですでに死んでいる子どもは書いていませんが、この他に信長の命で自刃させられた長男の信康は岡崎城主。
そして1603年に21歳で亡くなった五男の武田信吉(のぶよし:名門武田氏の断絶を惜しんだ家康があとを継がせた)が水戸城主でした。
信康は家康の覇権前に亡くなっているので除外するとして、秀康、忠吉、信吉、忠輝らが親藩大名として家康構想の中にあったといえます。
ですが生来病弱であった信吉は父が将軍宣下を受けた直後に死亡。
そして1607年には秀康、忠吉が死亡。

忠輝は1610年に越前70万石の太守となりますが、大坂の陣で家康の不興を買い、勘当になってしまいます。そして1616年、改易。信州高取で蟄居。
ちなみに忠輝は家康の子で一番長生きをしました。彼が死んだのは1683年、なんと92歳。世は既に五代将軍綱吉の時代になっていました。

つまり家康が世を去る1616年には生存している子どもは秀忠と忠輝、そして後の御三家の始祖のみ。忠輝は勘当中でしたから、秀忠と義直頼宣頼房だけが残ったと言えます。
将来の御三家の始祖はいずれもまだ幼少。義直、頼宣がそれぞれ城主となっていますが、この時点ではまだ家康のもとで養育されていて、家臣が領地を治めていました。
3人とも家康が天下を取ってから生まれた子で、孫と言ってもよい年齢。
子どもに対して情が薄い家康でしたが、年をとってからの子はかわいいのか、三人とも長らく手元に置いて育てました。

家康が死んだ年、1616年。
義直(17歳)は忠吉の後を継いで清洲城主。やがて家康の命で築城された名古屋城に移ります。
頼宣(15歳)は1609年に水戸から駿府へ移ります。いわば家康のおひざもとを治めたわけです。1619年に秀忠の次男忠長が駿府に入り、頼宣は紀伊へ。
頼房(14歳)は兄頼宣の後任として水戸へ。
こうして後の御三家と呼ばれる三人の大名が誕生したのです。

ですが最初に申しましたように、徳川を名乗る親藩は御三家だけに限りませんでした。
秀忠の次男忠長、家光の子、綱重綱吉。彼らはそれぞれ徳川を名乗り大名となっています。1代か2代で家系が途絶えたのですが、将軍家とは御三家よりも近い間柄でした。
現に綱吉が五代将軍に、綱重の子、綱豊改め家宣が六代将軍になっています。
それでも御三家は神君家康の子として、彼らですらかなわない高い格式を持っていました。
それゆえ三代将軍家光、五代将軍綱吉は御三家にかなりきつくあたっています。



今後しばらくは尾張徳川家の成り立ちをお話してゆきたいと思います。

次回は名古屋城についてです。

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by fouche1792 | 2005-11-10 02:46 | 尾張徳川十七代