江戸時代に名古屋を治めていた、尾張徳川家の殿様たちのお話です.


by fouche1792
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9代 徳川宗睦  尾張藩の「吉宗」

宝暦治水工事で恩恵をこうむったのは沿岸の農民たちばかりではありません。
尾張徳川家もまたその恩恵にあずかりました。
「尾張」徳川家は、尾張国のみならず美濃、信濃にもその領地がありました。特に木曽の山林は石高に計上はされていませんが、尾張家にとって大事な財源でした。

9代藩主宗睦(むねちか)は、この治水工事の恩恵もあり、傾いた財政を修復するための尾張藩の「天明の改革」に一応成功しました。
彼の治世は四十年の長きにわたり、人材登用、人材育成、法令の整備などさまざまな改革を行いました。
しかし、その彼をもってしても封建制の矛盾は克服できず、晩年に行った藩札の発行はその後長く尾張藩財政を苦しめることとなります。


宗睦は文教政策にも心を砕き、藩校「明倫堂」を創設しました。
その初代督学(学長のようなもの?)に、米沢藩の名君、上杉鷹山(ようざん)の師である細井平洲(へいしゅう)を指名。その平洲の意見により、一般の人にも聴講が許され、幕末まで大きな影響を与えました。

もともと平洲は尾張国の農家出身だったのですが、はやくから京都、江戸などで活躍。上杉鷹山の師として、その藩政改革を補佐し、米沢だけでなく多くの大名、庶民の支持を得ていました。

幕末、14代藩主となった徳川慶勝(よしかつ)は宗睦を理想とし、藩政改革を進めました。松平定信、水野忠邦が吉宗の改革を理想としたように。宗睦は尾張家の「吉宗」といえましょう。


藩校明倫堂はその後、明倫中学校→明和高校として、現在も続いています。
明和高校は愛知県尾張学区(愛知には尾張、三河の2学区がある)有数の進学校としてあまたの人材を輩出しています。
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by fouche1792 | 2005-10-19 01:31 | 尾張徳川十七代