江戸時代に名古屋を治めていた、尾張徳川家の殿様たちのお話です.


by fouche1792
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8代 徳川宗勝  中興の名君

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宗春の跡を継いだのは分家の松平義淳(よしあつ)。家督相続後、将軍吉宗から一字をもらい、徳川宗勝と名乗りました。

彼は宗春や吉宗に劣らぬ幸運な巡りあわせで61万9500石の大名となったのです。

はじめは尾張家分家、川田久保松平家に生まれ、父の死後、跡を継ぎます。このときの名は松平友淳(ともあつ)。友淳の友は6代藩主継友からもらいました。
1732年、28歳で同じ尾張家分家の高須松平家を継ぎ、義淳と改名します。この高須松平家は尾張家の分家の中では唯一幕末まで続いた家系で、幕末には天下に名をとどろかせることになるのですがそれはまた後のお話。
その後1739年、以前に申しましたように宗春の隠居・謹慎の跡を受け、35歳で尾張徳川家の当主となりました。

身代が大きくなってゆくたびに改名する様はまるで豊臣秀吉のようですね。

・秀吉
木下藤吉郎秀吉→羽柴筑前守秀吉→豊臣秀吉

・吉宗
松平頼方(部屋住み→越前葛野3万石)→徳川吉宗(紀伊55万石→8代将軍)

・宗春
松平通春(部屋住み→奥州柳川3万石)→徳川宗春(尾張61万9500石)

・宗勝
松平友相→松平友淳(川田久保家1万石)→松平義淳(美濃高須3万石)→徳川宗勝(尾張61万9500石)


藩主就任後は宗春の赤字財政、幕府との軋轢という遺産を受け、よく頑張りました。幕府も宗春後の尾張家との融和を積極的に図りました。

宗勝には15男10女、あわせて25人の子女が生まれ、そのうち10男6女が無事に育ちました。男子は各大名家や上級家臣の養子に、また女子は上杉や島津、水戸分家の松平といった大名家に嫁ぎました。これによって宗勝の発言力も増しました。

そして、名古屋(おそらく鹿児島も)の小学生なら誰でも習ったことのある木曽三川の「宝暦治水」が行われたのです。
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by fouche1792 | 2005-10-13 11:51 | 尾張徳川十七代